2014/06/23

私の男 小説の妙か映画の妙か

熊切和嘉監督の『私の男』観てきました~!
原作と比較せずにはいられないので、
・映画を見ようと思っている方
・原作を読もうと思っている方
は以下、各自の判断で読んでください。
映画と小説はまったく別個の作品になったと思います。
映画『私の男』は、美しくておそろしい
小説『私の男』は、まがまがしくて美しい
といった印象。だいぶ印象違います。

でも原作にドキリとした人たちに朗報です。
小説の印象的なシーンはほとんど映像化されています。
 

ではどうしてこんなにも印象が違うのか?

決定的なのは、時間軸の流れを変更したからでしょう。
現在から過去へ、淳吾と花の秘密が徐々にあきらかになっていく原作に対し、
映画は過去から現在へ、二人を追っていく展開。

また、映画では「男女」としての二人がメインです。
原作ではキーとなるお母さんのストーリーはカットされているため
「親子」というタームは存在感が薄くなっています。

この改変は、映画に全部を入れ込んだらゴテゴテしすぎると思うので
すっきりとさせたという点ではすごく良いと思います。
お母さんのくだりが入ってたら「お、おう…」感あったと思うし。
ただ、大塩のおじいちゃんの最後とかは
原作読んでない観客にはどう見えるのかしら?

小説と映画の魅力をそれぞれまとめてみます。

小説『私の男』の魅力は、読んでいくときのゾクゾク感です。
時間軸を遡って明らかにされていく秘密、
複数の視点と視覚的な文章で、
許されない禁忌と損なわれた親子というものを描き出していく様子。

映画『私の男』の魅力は、原作を飛び出した作品であることと音のリアリティ。

音が限られていて、すごくリアルで、エロいし怖い。
台詞も少ないので、数少ない台詞の中で主人公たちの関係がどう変化したのか
とてもよくわかるのもいいと思います。
淳吾の「後悔」のくだりなんかは、
原作を読んだ時の印象にはまったくなかったけど
作品の大切なピースが際立っていました。

原作を飛び出した作品、というのは主人公の印象がまるで違うから。
映画の淳吾は、原作よりもまっとうな普通の人だった。
対して、映画の最後、花はバケモノ感がすごかった…。
テーマの生々しさもさることながら、映像もだいぶ生々しいです。
だからその辺りは要注意。
苦手な人も絶対いるので映画館に誘う相手は気を付けてください。

花高校生時代のラブシーン(って言っていいのか?)の
二階堂ふみはなんかすごかったなあ
原作は「なんかすごいものを読んでしまった」と思ったけど
映画も「なんかやばいものを観てしまった」感がありました。

『私の男』公式ホームページ

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